ニューオーステル納骨堂~訪れやすい先祖との憩いの場とは~

この建築は、アムステルダムにある墓地に併設され、その存在は、周囲に配置された追悼の庭という場所の一部となっています。

どんどん変容する現代社会。葬儀などの地域的な習慣は薄れていく一方、儀式そのものの行いかたにも、個々においてもそのとらえかたが多様化しています。それは外国においても日本においても変わらないわけですね。そんな時代において故人をどう送り出すのか。そしてどこにその場を求めるのか。その中で納骨する場を求める市民の声も増えたことから、この建物が建てられることとなったそうです。ここにはおよそ1000もの骨壷がおさめられるようになっています。

でも、あれですね。日本のそれとくらべると、ポップに見えますよね。ガルバリウム仕上げなのもそうなんだろうな。なんだろう。その収骨されるスペースの大きさが少しランダムになっていて、ショップの棚みたいにも見えます。わかりますかね。少し不謹慎な書き方になってしまっているのは申し訳ないです。でも日本で見られる納骨堂の厳かな雰囲気。均等に置かれている、あのイメージがあって、それが、故人が安らかにすごしてほしい、そんな想いから生まれる永続性みたいなものがそこにこめられていたりする気もするんですよ。だから、私の意見としてはそう思ってしまったわけなんです。

建築のボリュームは南北に長く延びていて、まわりの通路によって、庭とともに区画されるように切り込みが入っています。追悼の庭との配置関係により、建築は全体のアクセントにもなっています。その長さは、建築物の幅や高さがおよそ5メートルであるのに対して、120メートルもあります。長いなあ。それらによって建築は分断され、それぞれの空間ができあがっています。その姿はどこか彫刻的な感じもしますね。内部は白い空間になっていて、外部のガルバリウム仕上げの効果か、優しく包まれた空間になっています。切りかかれた空間が出入り口や、光を取り入れ、さらに訪れた人の視界をさえぎったり、または開いたりする効果を与えています。

なんでしょうね。そこには、死者が眠っています。という緊張感よりも、公園の一部として、先祖に会いにきやすい優しさがあるような気がします。これって、もしかしたら大事なんじゃないかな。と思ったりしましたね。たしかに、死者をおさめる場所という意味では、軽すぎないか。っていう人もいるかもしれませんが、残された人たちが、定期的に会いにきてくれる。そういうことも、こういう場には大切なことなんじゃないかなっても思ったりしました。たまにはやっぱり顔出してほしいですよね!そんで公園で少し休んで、お弁当食べてさ、子供たちと遊んでさ、元気に私たちは生きていますよ!って。そういう報告を行為で見たいな。そう思いますし、そうしてあげたいな。たとえば自分が死んだとき、どうすればいいんだろうなあ。なんて思ったりしましたね。

建築:ニューオーステル納骨堂

設計: カレス・エン・ブランズ

建築作品を見た雑誌:a+u 20104月号

建築のある場所:オランダ、アムステルダム

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