小説おすすめ5作品(そこに建築や都市を感じる編-海外の小説より-)

以前ブログの読書録では、建築家や職人など、建築をつくる登場人物がでてくる小説をとりあげました。そして前回の読書録では、青木淳さんの建築文学傑作選を読んでの感想をかきました。建築という視点、切り口をもって小説を読むというのはとても面白いですね。それからというもの感化されまして、小説にはまっています。建築の本も読みたいのですが、なかなか食指がきません(笑)。さて、そこで私も小説を読んでいて、建築的だなあ、とまではいきませんが、建築や都市がそのストーリーの中心にあって、その設定がストーリーとあいまっているわあ。という作品に出会ってきましたのでいつものように5作品おすすめしたいと思います!興味を持ってもらえたらうれしいなあ!

■バベルの図書館(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、「伝奇集(岩波文庫)」に掲載)

この小説は、無限に本が存在する図書館について書かれた不思議で少し難しい作品です。無限といったテーマを扱いながら、無限な宇宙を図書館という存在に言葉で落とし込んでいます。図書館はあらゆる言語の本が収蔵されている無限大の空間となっています。でも読んでみると大きな換気孔があり、低い手すりで囲まれた六角形の回廊で成り立つなど、けっこう閉鎖的な空間の描写からはじまっているので、最初はけっこうイメージがふくらみます。しかしながら、書棚のある回廊が、上下左右に連続してゆく描写にまで展開されていくと、読み進めるにしたがい、イメージがどこかに飛んでいってしまいます。でもそこに無限というものを感じさせられてしまうんですよね。あふれた言語による架空の図書館を言葉によって構築しながら、作家自身がその無限性に呆然としているようで、その混乱はインターネットの世界にも通じるように感じます。そう考えると未来をも予見したSF小説としても読めますねえ。でも、なんか翻訳文が少し古いのかなあ。読みづらさも少し感じたなあ。誰か新訳してー。

■万里の長城(フランツ・カフカ「カフカ短篇集((岩波文庫)」に掲載)

カフカってこういう小説も書くんだなあ。というのがまず読み終わった感想。カフカが中国を題材に物語を書いていたに驚きましたね。この作品では、おもに万里の長城という建築を建てることに注視して書かれた内容になっています。この語り手は技術者、今でいう現場監督みたいな人なのかな。その工事過程について自身が考えたことが綴られていますす。建設方法とその理由についての考察や建造物の築城論から始まり、万里の長城自体の存在意義、そして皇帝や民衆批評にもつながっていく流れになっています。カフカにしては現実的な話を書くんだなあ。朝起きたら虫に変身していたり、城になかなかたどりつけないみたいな、ちょっといかれている話ばっかり書く人だと勝手に決め付けていましたよ。この人、いがいと骨太なんじゃないの!って感じたりもしました。なんか話によると、このおはなしは未完みたいで、内容は良かったんだけれども、推敲されていないのかな。語りが安定していないので読みづらく感じたなあ。

■黄色い雨(フリオ・リャマサーレス、河出文庫)

こちらは廃墟、廃村が主な舞台となっている小説で、一人の男の死を村の消滅にかさねて描かれています。語り手はその男による死者の視点。これが不思議な設定で、彼の回想や死に行く過程が語られています。その孤独のなかで生と死の境界が淡くなり、昼と夜の境が無くなっていくのが読んでいて感じます。季節の移り変わりとともに朽ち果てていく家や村、はなれていく人、死に行く人。ポプラの枯葉とともに降りしきる黄色い雨。深い沈黙の中に消えていく記憶。この何とも退廃的な状況を詩人である著者の透明感溢れる文章で綴られているのがとても印象的でした。そこには死が漂っているのにもかかわらず、なぜか美しさを感じます。廃墟という存在は建築なのか?建造物を計画・施工する行為が建築であるから、それが廃れていったり、改修される過程も建築、ということは建築が廃れていく過程も建築なのでは、そんなことを考えたりしましたので、こちらをのせてみました。

■ガラスの街(ポール・オースター、新潮文庫)

ニューヨークの都市が舞台となっている小説す。読んでみると一見探偵ものに見えます探し人の姿を追い、街を歩く主人公の視線がと重なり、主人公の自問自答、思考の振れ、感情の起伏が推理小説っぽさを醸し出します。ストーリーのなかで登場人物の存在名前の境界がぼやけていく。物事は何も解決しない。主人公はニューヨークという都市に取り残される。都市に迷い、その存在に溶けて消えてしまう主人公。都市に生きることの漠然とした不安感や匿名性がこの小説には表現されているような気がします たしかにニューヨークのマンハッタンって、街区が碁盤上になっていて、一見わかりやすそうなイメージなんですけど、意外と混乱しやすいんだよなあ。その都市の雑踏と、この作家のすたすたと歩いているような透明感のあるリズミカルな文体がとてもマッチしていてなぜか心地よく読み進めてしまい、逆にそれが虚像に溢れ、現実感のないニューヨークという都市に生じる歪みとストーリーにひそむ孤独、喪失感研ぎ澄ましています

■南部高速道路(コルタサル、「悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集(岩波文庫)」に掲載)

高速道路渋滞に巻き込まれた人々の不条理を描いた作品ですしかもなぜか渋滞が何日も続くいう、ありえない設定のお話す。高速道路上で大渋滞に巻き込まれた登場人物たちは人名一切挙げられておらず、全てその人物たちが乗っている車種呼ばれてい記号的です。その状況下において人々は協力し、コミュニティを営みはじめます。そ車の連なりからなる避難生活のような、集落関係性が、道路というインフラと合間って都市的な感覚を感じま。高速道路上という閉鎖された世界生きている人々の様子がなぜか滑稽、現代社会を暗示しているようにも感じます。そしてラストは読んでいただければいいんですが、その描写が都市社会における孤独感寂寥感をあおり、車が走っていくという移動空間と呼応しててすごいんですよ!それがこのおはなしの仕掛けになっています。余韻がすごかったなあ!

という感じですね。読んでてこれは!っていうのがまだありそうですので、それは次回パート2でのお楽しみに!!ああ、日本の小説もやろうかなあ。やると、建築文学傑作選とかぶったりするのかなあ。それも楽しみではありますね。

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