ヒアシンスハウス~詩人の夢の住処!!~

埼玉県さいたま市にある別所沼公園は、その敷地のおよそ半分はある別所沼を中心に大きな樹木の緑あふれるのどかな場所です。そこでは地元の人たちが散歩をしていたり、子どもと遊んでいたりと、住宅街のオアシスのような公園です。そんな公園の西側には詩人立原道造が設計した、小さくてかわいらしい建築が佇んでいます。

立原道造は、「風立ちぬ」の堀辰雄らと共に、詩誌『四季』の同人として青春の抒情をソネットにのせて謳っていた詩人というのは有名かと思います。しかしながら、彼はちがう顔ももっていたのです。それは東京帝大工学部建築学科を卒業し、学生当時は成績優秀者が受賞する辰野金吾賞を三年連続して受けるような将来を嘱望された建築家でもあったのです。大学の後輩には丹下健三、吉武泰水が在籍しています。どうやら彼らからも一目を置かれていたというのが本にかかれてありました。すごいですね!

そんな彼が、設計事務所に勤めていたときに詩人で友人の神保光太郎のすすめによって自らの週末住宅として構想していたのがこの建築というわけです。名前はヒアシンスハウス(風信子荘)。漢字で表現すると風信子でヒアシンスと読むらしいです。一瞬、人名みたいに見えますね。立原はヒアシンス好きだったんですかねえ。彼の詩集のなかには「風信子叢書」というものもあります。この建築は、立原の卒業設計「浅間山麓に位する藝術家コロニィの建築群」の一部の実現を期した設計といわれています。昭和初期ころ、この建物があるさいたま市郊外の別所沼周辺には、神保光太郎をはじめ多くの画家が住んでいて、芸術家の村みたいになっていたらしいです。この場所はまさに芸術家コロニイだったわけですねえ。

しかし残念なことに、立原はわずか24歳という若さで亡くなってしまい、その夢は叶いませんでした。そしてその後年月は経て2003年、別所沼公園のあった浦和市がさいたま市となって政令指定都市となり、埼玉県からさいたま市にこの公園は移管されました。それを機にこの立原の夢の家の建設に対する機運が高まっていき、ついに彼の没後65年の2004年、彼の作品を愛する人々や多くの市民たちや企業、行政の協調と寄付と尽力により実現しました!

そんなヒアシンスハウスは立原が残したスケッチをおおよそ忠実に再現されたものとなっていて、彼の夢やこだわりが散りばめられています。外観は南東側にあるコーナー窓が特徴的ですね。緑色をしたその窓は、コーナーに支柱はなく、軽やかな意匠となっています。前面の道から眺めた建築の正面には出窓がひとつあります。道を隔てている柵の奥にはベンチが置いてあり、2本のポプラが植栽されています。雨樋と雨水を貯めておく甕がありますねえ。手前の石はアイストップとなっていて、訪問した人を玄関に案内するためのものらしいです。入口の飛び石は14個。この数字はソネット(ヨーロッパの定型詩である14行詩)にちなんでいます。建物のそばには緑色の旗が上がっていますねえ。立原が家にいるときはこの旗を上げて、近所に住む友人に自分の滞在を知らせるためのものとして考えていたそうです。

小階段を上がり、南側中央の玄関から入ると、明るく大きな窓が目の前に飛び込んできます。そこから広がるのは別所沼です。内部は木目の美しいモダンな空間となっていて、立原道造やヒアシンスハウスに関する資料が展示されています。この建物の広さは15㎡程度しかありません。住宅の中にあるのは、ベッド、書斎、イス・テーブル、クロゼット、トイレだけです。キッチンやお風呂はありません。水は片流れ屋根からの雨水を貯める大きな甕からのみ。週末住居というだけあって、必要最低限の家具しかない最小限の機能を有したワンルーム空間です。近くには公益施設としてのロッジがあったらしく、その周囲には芸術家らの住宅が並んでいたため、立原は、この住宅を、その一部ととして位置づけようとしていたようです。南東角に大きく開かれた窓の場所はテーブルを置いたダイニングスペースとなり、コーナー窓を開け放つと、風が心地よく通っていきます。西側は造り付けベッド、すぐわきには小さな出窓があります。大きな開口部と、控えめな開口部の差をつけることで、開放的で明るいパブリックなスペースと、やや暗めな囲われた安心感のあるプライベートなスペースが実現され、そのゾーンが徐々に変化するようにプランニングされています。それが奥行きを感じられる豊かな空間となっています。小さいけどすてきだなあ!

でもですね、実はですね、この建築の本来の敷地は別所沼の東側の湖畔で、立原の友人の神保光太郎らが住む芸術家コロニーにほど近い場所に建てられるはずでした。というのも今の別所沼の東側は民家が迫っていて、西湖畔にしか配置選択の余地がなかったとのこと。時代ですねえ。。なので出窓の位置が元のプランと違うみたいですが、この建物が別所沼に実現したことは大きな意義があったのではないかと思います。小さくも、立原道造の夢、そしてそれを支える人々の思いが詰まったすばらしい場所がつくられています。いつまでも佇んでいてほしいなあ。そして私が思うのは、この人が病気にならないで建築を続けていたら、この日本の建築の文化はどうなっていたのかなあ。と思ったりしましたね。

建築:ヒアシンスハウス

原設計:立原道造

再現設計:ヒアシンスの会

建築作品を見た雑誌等:住宅建築20053月号、新建築20053月号、立原道造の夢みた建築(著:種田元晴、鹿島出版会 )、天才・立原道造の建築世界(著:武藤秀明、文芸社 )

建築のある場所:埼玉県

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