「青木淳選 建築文学傑作選」を読んだ感想!

読もう読みたいと思っていて、このゴールデンウィークにようやくこの本を読み終わりました。なんか小説ってある程度、まとまった時間をとってゆっくり読みたいって感じなんですよね。私の場合。まあ、そんな話はどうでもいいですね。

さて、ここにでてくる文学作品には、建築家がでてくるわけではありません。建築は、まあ、でてくるっちゃあ、でてくる。でもそれが建築文学ってことではないようです。建築がでてくるってことを期待して読んではいけないですよ~。

さてさて、この建築文学というのは、読んでいて、その小説のつくりかたが建築的だな、というものだそうです。建築的、とはいったいどういうものなのか。それは、解説に建築家の視点で著者が述べていますので、読んでみてねん。言葉で定義できるほど明快には語られてはいないけど。こういうこと言ってんのかな、というのはなんとなーくはわかりました。たぶん。

けっこうその読む人それぞれの主観的な感じ方やとらえ方によるんですよ。そもそも文学というものはそういうものですよ。読んだ人が建築的だといえば、そうなのだ、ともいえますよ。だから、私自身が小説を読んで、これは建築的だなと思うものもおそらくちがう。はず。まあ、青木さんという建築家が小説をどういう視点で読んでいるか。そういう部分を楽しむって感じでいいんじゃないすかね。

そういえば、たまたま最近、村上春樹著の「若者のための読書案内」という本を読んだのですが、これがなかなか面白く、興味深かった。小説家という書き手のプロが読む小説。やっぱ、すぐれた書き手は、すぐれた読み手なのだなあ、と思った次第です。ここまで深く読み込めるなんてすごいなあ。ああ、なるほど、と。この本はおすすめです。でもですね。この本はですね、その取り上げている作品が本に掲載されているわけではなかったので、その本を探すのがめんどくさかった!

少し話がそれそうですね。つまりですね。この「建築文学傑作選」は、解説だけでなく、作品もきちんと掲載されていたのでよかったなあ。そういうこと。そして建築家という職種の人間が、小説というものをどう読んでいて、ああ、こんなとらえかたもあるのだなあ、というのが面白かった。

私、普段は小説を読んでもあまり真面目に解説なんかは読んだりしたことはなかったので、こういうふうに自分の興味のある分野とてらしあわせながら書かれていることを読むと、こんなにも小説の読み方にひろがりが生まれるんだなあ。おもしろいなあ。と思いましたね。

そして、青木さん、小説たくさん読んでいるんだなあ。と。たくさん読んでいないと、まずこの本のセレクトはでてこないだろうし、解説文も、なかなか興味深い視点で書けないよなあ。たとえば他の建築家にこの本の書評をお願いした場合、建築やその周辺の本は読んでいるかもしれないけれども、小説はどのくらい読んできているのか。その建築家の小説の読書量がばれますよね。おそらく、こういう著書を出せるくらいの人でないとしょぼい書評になってしまうと思いますよ。ええ。

さてさて、そんな今回の建築文学傑作選のなかで読んだ文学作品の数々、やはり、個人の嗜好もあるので、自分のなかに入ってきやすいもの、そうでないものがいくつかありましたね。その作品のなかで、これは、入ってきたなあ。というものを取り上げて、軽く感想みたいなものも書いてみたいと思います。いつものように5作品あげてみますが、けっして他の作品がつまらなかったというわけではないので、そのへんはよろしく!

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□ヴェネチアの悲しみ(須賀敦子)

この作家の著書や翻訳は読んだことがあって、彼女の文章がとても好きでしたので、これはまっさきに選びました。内容は小説っていうよりは、当時を回想するエッセイという感じではあるんですけど、ひとつのエピソードからの枝分かれするっていうのかな、そこからの文章の広がりや、最後に向かって閉じられていく構成っていうんですか、そのつむぎかたが絶妙っていうんですかね。なんかいいわあ、と思いましたね。それがこの作品を上質な文学作品というものまでに高めているような気しますね。

翻訳も仕事にしている作家さんっていうのは、文章がなんていうんですかね。その翻訳の作業が自身の文章に関係してくるのは確実で、その文章がなんかこう、少し、地がないっていうか、客観性が強いっていうか。少し日本語というものに対して、引いた視点で書いているような気がするんですよね。特にこの著者は、イタリアでの生活が長かったというのもあってか、そういう部分がけっこう強く感じます。でもその距離感がとれている文章にここちよさや、日本語を読んでいるようでそうでない感じ、っていうんですか、そういう部分にどこかひかれるところがあるんですよね。

ここでの建築的は、エピソードの構築や展開、そして翻訳的で詩的な文体による部分で魅せている、そういうところなのかなあ。と自分では感じましたね。

□流亡記(開高健)

この作家の作品は「裸の王様」は読んだことはあったのですが、それとは印象が全然ちがいましたね。とにかく無骨で直截的な文章、文がおしよせてくるおしよせてくる。っていうのも、ページに文字がびっちしなんですよね。それでもう圧倒される。っていうか。疲れます。会話文も特になく、心情の描写みたいなものも特になく、文体のリズムがけっこう一定で、ドライな描写が淡々と描かれています。そうせいか、小説の舞台である黄土色のまちが文字に不思議とあらわれていて、においの描写も伝わってくる。気持ち悪くなるくらいに。それが印象的でしたね。でもそれがちょっと強すぎて、気持ち悪くなるような気はするんですけど、でも、それがこの小説の良さなんでしょうね。

ちなみに、私の理解が乏しかったせいもあるかもしれませんが、最初読み進めているときは、何の話だかいまいちよくわからないんですよ。なんか寓話的なかんじ。どこなの?そこ?みたいな。そして徐々に読み進めていくと、その内容がどんどん文章からひもとかれていくような感じがして、それが自分のなかでは考えられているところなのかなあと、思いましたね。

この作品での建築的は、無骨につむがれた、ページいっぱいの文、淡々とした文体からの文字による映像的描写、そしてそこから徐々に小説舞台がひもとかれる地道な文のしかけ、なのかなあ、と感じましたね。

□中隊長(筒井康隆)

これもまたページに字がぎっしりでなかなか読みづらかったですね。でも。面白かった。何が面白かったかっていうと、たぶん、この小説をかいている著者の圧倒的なユーモア。これにつきるような気もしますね。この作品、最初の一文からふふっと笑ってしまんですよねえ。この人の作品はSFものしか実はよんだことがなかったので、こういう作品も書く人なんだなあ。というのが、正直な最初の感想。まあ、私の読書歴が浅いってことですよ。

そんなこの作品、なかなかぶっとんでいて、ばかだなあ。よくここまでふざけて書くもんだ。というか、まあ意図的なのでしょうけど、ブレーキをぎりぎりまでかけない。いや、ぎりぎりアウトなんじゃないかな。そんな感じ。逆にすごいな。逆って言い方もおかしいかな。でもそういう挑発的で挑戦的なこの作家がもう、とてもすばらしいなと思ったりしましたよ。けっこうこの毒のありそうなやばさは、好きな人は好きなんだろうなあ。

でもあれっすね。この作品が一番、建築的という部分で考えたときに、わかりづらいなあ。と思いましたね。異質な感じがするんですよ。なんか。飛躍がある、というか、そもそも、崩壊している、というか。そういうはずれた存在として位置づけることで、この建築的というものが成立している作品なのかなあ。という感想ですね。失礼、つまりは、この作品をよく読み込めていないのかもしれません。

□ふるさと以外のことは知らない(青木淳悟)

すみません。この本でこの作品を読むまでは、この作家のことは知りませんでした。小説読んでね~。私。。しかも、最初、作家名を見たときは、名前が一字加えるといっしょだよ。これ、冗談でのせたのかなあ。なんて思ってしまって、どうもすみません。。でも、実際読んでみて、なかなかおもしろい作品を書く人だなあ。と思いましたよ。うん。他の作品も読んでみたいなと。そう思いましたね。

つうかこの小説って、いったい何視点で書かれているのかなあ。なんてまずは思ってしまいましたね。けっこう知らないうちに変化していくんですよね。登場人物の呼称も変化したり、とか。そしてその細かい、家という物理的な部分から家族、家庭、そのなかにあるルールやもの、ことが文章の描写によって、余計なまでに語られていく、ほんと余計な部分がある。その独特なスタイルは、とても面白いと思いましたね。でもやや難解かな。なんというか、他人の家庭に迷い込んでしまったような気分になってしまいますね。読んでいて、自分には関係ないであろう家庭の中になぜか、足つっこんでしまっているな。と。やばいな。これ、参ったな。読んでいて、そんな後悔がでてきたりもします。

でもそんな難解でも読み通せたのは、この人がけっこうこの本にセレクトされている小説のなかでは世代のギャップが少ないせいなんだろうなあ。自分が生まれている時代に書かれている小説っていうのは、文章っていうのは、それだけで読むことができるモチベーションなんだよなあ。とか。

ここで建築的なのは、やっぱ、そのよくわからない視点設定と余計なディテールの描写からなる迷走っぷりで読者を混乱させるところなんですかね。

□台所のおと(幸田文)

この小説を書く作家は、好き嫌いは別として、すっごく文章を書くのが上手いなあ、達者だなあ。と思いましたね。それは、著者の解説でもふれているのですが、文章の緩急のつけかたが抜群であるってことですね。

どういうことかというとですね。うまく伝えられるかな。最初読んでいてですね、少し読み進めていくと、なんかこう、よくわからないんですが、読み進めるのが遅くなってきてですね、がまんの姿勢で読んでいる部分があるわけですよ。もう、途中でやめようかなあ、とか考えてしまいました。これは、私の本を読む集中力がもしかしたら無かったせいもあったのかもしれませんが、でもがんばって読んでいてよかった。ある場面から、どどどー、と読むスピードが加速していくんですよ。いやあ、がまんして読んだからその緩急を読書体験で感じることができたのだから。ああ、よかった。しかもけっこう快感!

そうだ、最初にちょっとだけふれた、村上春樹著の「若者のための読書案内」で紹介していた丸谷才一の「樹影譚」という小説があるんですけれども、この小説もよく、練られて、文章の緩急が調節されていましたね。やっぱ文章書くプロってすげえなあ。そう思いましたね。この2人をくらべていいのかわからないですが、それは自分の読書歴の浅さからのものでありますので、ご了承くだされ。

そしてここのストーリーの登場人物はおもに夫婦なのですが、視点が話のなかで事前に夫と妻でうまいこと交換がなされている。そういう部分があるんですよね。そこもまたなんだろう、上手な感じがしたなあ。あと、包丁とまな板、鍋の煮る音、台所のおとによる会話になってないつながりが描かれているのが品がいいなあ。など。

ここでの建築的は、その品のよい話の筋を、文章の読むスピードの緩急や視点交換で、うまく調整しながら最大限に表現しているところなのかなあ。

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と、まあ、読み終わってみて、建築的とまではいかないけれど、そんな読み方が自分ではできました。もちろん、解説を読んでこそ、こういう自分の読み込んだ視点をとらえなおすことができたのだと思います。ありがたいことです。勉強になりました。

そして、もし自分だったら、どういう定義をして、建築と文学をからめて、セレクションができるのかなあ。と思ったりもしましたね。前にこのブログでとりあげた小説はもろに、「建築家や職人など、建築そのものをつくる人がでてくる小説」をとりあげてみたんですが、今回のような小説を探していく読書もまた面白そうですね。もっと小説もよんでいこうかなと改めて思いました。

いろいろな本を紹介してくれて、読むことの視点をひろげさせてくれてどうもありがとーございました!!

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