惜櫟荘~近代数奇屋建築の傑作!今に復活!!~

昭和16年、熱海に建てられましたこの一軒の小さな住宅は、岩波書店の創業者である岩波茂雄がこよなく愛した別荘です。 この場所には並み居る文豪や財界、政界などの大物が集まっては文学について、歴史について、さらには明日の日本について語り合ったと言われています。ほんと最高の逸品です!そんな住宅作品を設計したのは、建築家吉田五十八。歌舞伎座、文学賞の舞台でとなっている築地新喜楽などで知られる伝統的な数寄屋建築を独自の考えをふまえながら近代的に構築した巨匠です。

そんな巨匠建築家吉田五十八と建築好きであった岩波茂雄。桂離宮などに代表される数寄屋建築を今の生活にあわせた美学としてつくりあげたい吉田五十八。どの部屋からも海が眺められるようにというこだわりをもった岩波茂雄。最高なものを作りたいという2人の気持ち、いやただの強烈な個性かも(笑)。それがぶつかり合いながら、この名建築を生まれたわけです。

ちなみに惜櫟荘の櫟という字はクヌギとも呼びます。クヌギはブナ科の樹木でその樹高は20メートルを超えるものもあるそうです。樹液を吸いにカブトムシも寄ってきます。そしてブナ科ですからその実はドングリになります。庭にある大きな櫟の木を残して設計してほしいと岩波が注文したことから、「惜櫟荘」と名付けられたとのことです。

土地はおよそ900坪弱。その敷地は広大でありながらも、建坪は当時30坪以内という規制があったため数寄屋造りの建物自体はおよそ30坪くらいです。しかしながらですね、一本の木からつくられた一枚の板、瓦、襖、障子、畳、石に至るまで全て国宝クラスの最高のものが使用されています。岩波茂雄は四方八方に手を尽くして最高の材料を集め、そして吉田五十八は京都から大工、左官、石工を呼び寄せてこの建築を完成させたそうです。戦時中で軍事物資が優先される時代において、、これらの建材を調達するのはかなりの苦労があったでしょうね。

そしてこの別荘。近代における数寄屋を作ろうとした吉田五十八による、様々な試みがなされています。そのなかで代表的なこの建物の特徴は、障子やガラス窓3枚、網戸や雨戸までもすべてがすべての建具を壁の中の戸袋にすべて引き込み、部屋の開放感を最大限に引き出す工夫がなされていることですかね。この納まりがまた秀逸なんですよ。十二単(じゅうにひとえ)という美しい名前で呼ばれるこの方式によって、遮るものがなく、額縁のように窓面が風景となって、全ての部屋から海への眺望が一望できる空間が実現されています。う~ん。すばらしい!

しかしそこから70年あまりがすぎ、そんな惜櫟荘を岩波家が手放すという危機が訪れます。それを救ったのが時代小説のベストセラー作家である佐伯泰英氏。彼は私財を投じてこの建物を解体復元しました。どうしてそんなことになったのかというと、佐伯氏が熱海に仕事場を求め、とある別荘を入手したら、そのお隣が惜櫟荘だったわけなんですねえ。ご縁ですねえ。

しかし建物はかなり老朽化し建て直すしかありませんでした。築70年近くの歳月が流れたなかで、建築修復へは困難を極めます。佐伯氏は吉田五十八ゆかりの建築家、工務店と話し合い、建物を一旦解体した後、もとの建材をできるだけ使って完全復元するというなんとも難しそうな方法を選択しました。設計原図や記録が残されていなかったため、まず現在の建物の測量から始め、建物だけでなく金具や建具の細かい寸法まで採寸したそうです。解体は住宅が崖の上に建てられていることから、大型重機は利用できず、ほとんどが人の手による作業。そしてオリジナルの材料を再利用し、どうしても、古いオリジナルが使えないときは新しいものが代わりに使うなど、現場の方々による創意工夫、そして苦労がありました。納まりは吉田五十八独自のものを尊重し、この住宅の最大の特徴である開口部分は、外部の建具をもとのとおり引き込み建具とすることで、すべての開口部を最大限に開放できるようになっています!現在の建築家、棟梁、工務店、職人たちによってこの惜櫟荘が新しく蘇ったわけです!!

この惜櫟荘の解体、修復の様子は、テレビで放映されました。まあ、それで私はこの建築を知ったわけなのですがね。いやあ、本当によくぞ残してくださいました!ありがとうございます!!

建築:惜櫟荘(旧岩波別邸)

設計:吉田五十八

解体復元:板垣元彬建築事務所

建築作品を見た雑誌等:住宅特集 20128月号、住宅建築別冊17 数寄屋造りの詳細 吉田五十八研究 、 惜櫟荘主人(著:小林勇、講談社文芸文庫)、惜櫟荘だより(著:佐伯泰英、岩波現代文庫)

建築のある場所:静岡県熱海市

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