レイマンの住宅~家型という概念について考える~

フランスの片田舎にあるこの住宅は、まるで絵本に出てくるおうちという呼び方があっています。勾配屋根があって、煙突がついていて、大きく開いた開口部は人の顔の一部みたいにもみえます。屋根と壁は色がいっしょで、軒がでてないのでつながっていて、まるでブロックみたいですね。防水フェルト貼りの屋根、そしてコンクリート打ち放しの壁が外観を一体的な形態とした意匠にし、家型というものをかたどるものとなっています。それがかたちを抽象化されていて何かかわいい。

軒がでていないこの家型は、おそらく雨や風によって外壁を汚れていくでしょうね。それが何もない場所にチョコンとたっている住宅はそこに以前からあったかのような存在になり、そして敷地とシンクロしていく。その姿、いやその家型の抽象性は、そのような過程を経て土着的なものに変化するだろうと建築家は考えたそうです。

住宅の1階部分はピロティになって浮いています。そこから階段で住宅に入っていきます。コンクリートの重厚な存在が空中に浮いて、それがこの住宅の存在を軽快にしています。2階の浴室は屋根型が内部空間にあらわれていて、とても天井が高い。これはもうじゅうぶんに大きい部屋ですね。

この建築をみると、まず一般にある家型とはなんぞやということを考えてしまいます。日本の住宅は、日本の気候の特徴である、高温多雨という気候から勾配屋根が生まれていたりもします。屋根は雨を処理するためのもので、軒をのばすのは雨が壁にたら~とならないためであったり、その雨が内部に侵入しないようにするだったりしますよね。他にも切妻屋根は技術的に簡単な納まりでローコストにしやすい。とか。法規的な問題でいうと、勾配屋根にしなければいけない必要があったりとか。街並みの流れにそろえたいみたいなのもありますよね。あと、こういうのもありますよね。家型というカタチの安心感や親しみやすさみたいな。それは何か信仰に近いイメージっみたいなものでしょうか。慣習?に近いのかな。ブランド化したもののパッケージにもなっていたりしますよね。それをむしろ家型という強い形態として、建築を構成するパーツのひとつとして用いてみたり。これは、アイコン?

う~ん、私たちは知らず知らずのうちに、家というものにイメージしたとき、それを原初的なものを追ったときに、あの家型というかたちを追い求めてしまうのでしょうか。それを追い求めることによって、人間としての精神的なやすらぎが、どこかこのかたちにあるのでしょうか。と勝手に感じて、考えてしまっているところがあるかもしれません。家型というものはそれが建築として生産されていくなかで、よりその思考や作業が洗練されて、その原型として、この結果が生まれたのでしょうか。

この建築が生まれたころの建築家の住宅作品は、あくまでも私の印象なのですが、家型をあまりよしとせず、住宅でもこんなことができるんだぜい!という作風が横行していたような時代であったと思います(まあ、今もそんな考え方もありますが)。そのなかで、シンプルにこのかたちをつきつめて、作品まで昇華したものとしたこの建築家の作品は、何かその流れがあった当時の雰囲気からある一線を引いたデザインという印象を与えてくれたような気がします。私たちは箱をつくっているわけではないのだよ。そうなんだ。そうなんだよ。私たちは家をまさにつくっているんだよ。この建築を見ることで、家というものを概念的に深く考えさせられたような気がしましたね。

建築:レイマンの住宅

設計: ヘルツォーク&ムーロン

建築作品を見た雑誌:a+u ヘルツォーク&ムロンp236-243)

建築がある場所:フランス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする