アルベルト・ジャコメッティ展~見えるものを見えるがままに~

アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)は、20世紀のスイスの彫刻家です。細長い人の彫刻が有名な彫刻家であり、また画家でもあり、哲学者でもあります。私はこの芸術家がとても好きです。いやあ、日本で展覧会やってくれてほんとありがとうございました。

彼は、幼少時より絵や彫刻の教育を画家である父親(ジョヴァンニ・ジャコメッティ)から学びました。そして美術学校を経てから、パリのアトリエで創作活動を行い、生涯「見えるものを見えるがままに描く」ということを追求し、その揺るぎのない堂々とした彫刻作品の数々を生み出しました。

その彼の作品により表現されている、人間というものの存在をより深くみつめる。目に見えること、それをありのままに作品として表現すること。そこから生まれた針金のように細い人間像は、彼のもつ個性として、とても存在感ある独自の表現として、彼を20世紀を代表する彫刻家としました。

何?じゃあ、彼に見えている人間はあんなに細いの?という話になってしまいますが、見えているものって人によって違いますよね。同じ目ではあるけれどもその見方によって異なる。極端な話をしちゃいますと、幽霊がみえる人、見えない人がいます。違いますか?屁理屈ですか。いやそうじゃない。自分のもつ表現が目を変えるんですよ。

展示されていた彫刻、油彩画、デッザンはどれも真にかっこいい!特に油彩画、デッサンは私の勝手な憶測もまざっていますが、彫刻という彼の個性を表現するまでの葛藤や苦労、創作への追及が垣間見えたような気がして、こうなんでしょう。熱く感じるものがありました。

展覧会は、キュビズムやシュルレアリスムを独自に消化し、影響を受けた特徴が表現されたジャコメッティ初期の作品からはじまり、そしてジャコメッティが生涯作り続けた人物たちの作品が多数展示されていました。モデルとしては妻のアネット、弟ディエゴなど家族の像が多いのですが、これはジャコメッティのテーマである「見えるものを見えるがままに描く」を追求する為に不可欠な存在であったのがわかります。

そして日本人哲学者である矢内原伊作もまたジャコメッティのモデルの一人として、代表作品の一部として展示されていました。う~んこのすばらしい彫刻家が日本人とお友達だったなんて!矢内原氏の油彩画・彫刻は、会わせておよそ20点以上が展示されていましたが、どれもまさにその時の「見えるものを見えるがままに描く」描いた作品でありました。よく矢内原氏もつきあってくれたなあ。そこには友情を超越したものがあるますよ!

そしてジャコメッティがその才能突き抜け、抜け出し、進化し、たどりついた最終形ともいえるあの作品の数々がクライマックスとして展示されていました。鉛筆で描かれたデッサンから油彩画そして彫刻という過程でおそらく製作された過程は、展示と空間との調和が見て取れるようでした。しかしながら、定番の彼の表現がでてきて、うれしい!、と思っちゃっている私、、その時点でまだまだミーハーなアート鑑賞者であるなあ私は、と思ってしまいましたね。でもジャコメッティが「見えるものを見えるがままに描いた」ものを見たいと思いまして、いろいろな角度から彫刻をみました。像の周りをグルグルとまわってじっくりと見てみたわけですね。

ありのままを見て、ありのままを表現する。ものをみることを探求しつづけたジャコメッティ。その答えとして表現したものは、みえるもの、真理のなかでみえるもの、極限までの視点より生まれた細長いかたちをした人間。その人間像は量がないようであるというか。細いがそこにある空間情報は膨大で、まるで大きなボリュームのようにも感じます。そのまわりに空間がないようであるんですよ。なぜならば、それは、そのブロンズのまわりには、人を人として見る続けることでみつけることができた、考え続けることでみることができた軌跡があるんですよ。私にはそのように思いました。考えて考え続けて、そうすることでみえてくる様々なもの。そこには、そぎおとされた真理の空間がそこにはあるんですよ!

展覧会が開催されていた場所:DIC川村記念美術館

展覧会が開催されていた年:2006

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